日本赤十字社系列病院に対し、医療過誤訴訟を提起しました ~倫理観なき医師は有害である。正義感なき法律家と同様に~

医療過誤(説明義務違反も含めて)自体の有無、すなわち、医療ミスがあったかどうかが争点ではない点で私の担当事件では珍しい事例である(初めてです)と共に、赤十字病院らしい姿勢が大変分かりやすく表れていてとても印象的なので、ブログに登場した次第です。

訴訟になっていること自体が既に病院側の不誠実さの表れと言えますが、これまで取り組んできた医療訴訟のことを敢えてブログ化しなかったのは、特にその事件についてブログで表現するだけのモチベーション(動機)に乏しかったからで、その意味では、私自身がこの事件は黙ってられない気持ちが強いのと、やはり、世間に投げかけたい何かがあることがブログに書く理由です。決して、難しいことは書かないので医療問題に興味がある方は是非読んでみてください。

まず、どんな医療過誤事件かを簡単に説明します。群馬県内の某自治体に勤務する当時50代の男性が原告です。彼は、勤務先で特定の上司による酷いパワハラが原因で鬱(うつ)になり、解離性障害という症状で勤務中に建物3階から飛び降りて受傷し、緊急搬送されて入院治療中に、薬液等が点滴漏れして、左下肢の点滴漏出部位周辺の皮膚・筋肉に組織壊死・潰瘍を起こし、重い後遺障害(後遺障害8等級)を残したという事件です。仮に、この点滴漏出事故が不可抗力的に生じたと考えられる場合には、正に「事故」であり医療ミスではないことになりますが、受傷による皮下組織や筋肉の損傷が点滴時には既にあったので、点滴をした血管に生じていた傷から液が漏れることを容易に予想し得ただろうと私の協力医が評価した上で、「医療ミスは明らかだ」と言ってくれました。

このような事情から、病院側(代理人弁護士)は医療ミスの存在自体は認めた上で、「後遺障害慰謝料」と「逸失利益」の2項目について全面否定した賠償額の提示をしました。本来的には、医療訴訟の「本丸」にあたる争点であるミスを認めて、いわば2次的な争点である損害論で争っている訳です。普通に考えると、良心的と思うところですが、ところがぎっちょんです。実は、とんでもない「からくり」が仕込まれていました。これは、弁護士である私はすぐに気付くことができましたましたが、素人である患者とその家族には全く理解できるはずもなく、ただ、緊急搬送時から度重なる(入り口から始まってます)赤十字病院スタッフの患者を人と思わぬ態度に怒りを抑えてきた患者側には、理屈はともかく酷い示談案であることは分かったようで、私のブログを読んで相談に訪れたというわけです。

特に、逸失利益は、莫大な金額になります。後遺障害で45%の労働能力を失った分の収入を定年退職までの期間補償されるわけでから、当時公務員であった原告の場合は、2000万円以上です。これをうつ病や自殺未遂したという理由でゼロとしたのです。保険会社にすれば、慰藉料も入れると2500万円の儲けです。保険料で稼ぐより効率的ですから頑張るわけです。こうして医師倫理は吹っ飛び、医療過誤の責任問題は、保険屋の営利追求問題へと解消されていきます。

赤十字病院は、「後は、保険会社に任せるから勝手にやってくれ」というわけですが、このシステムおかしくありませんか?勿論、保険制度自体は、おそらくローマ時代辺りの都市国家に起源をもつ英知の一つであることは間違いありません。しかし、医師会や病院がこの優れた「道具」の使い方を誤って使っているのです。とても「専門馬鹿」「世間知らず」と批判して済むことではありません。正義なき弁護士が無益を超えて有害であるのと同様に、倫理なき医師も無益を超えて有害です。

赤十字病院の自らの医療ミスに対する責任の取り方について、果たして私の主張が言いがかりかどうか、この問題を裁判所に預けてみようと思います。

まず、「後遺障害慰謝料」ですが、本事件の予備知識が少し必要です。この患者には飛び降りた際の受傷による後遺障害が右下肢に残っていました。つまり、飛び降りた際の受傷による後遺障害が右下肢にあり、医療ミスによる後遺障害が左下肢にある状況が現状です。そして、入院治療は、当初は、右下肢を中心とした恐らく身体全体にわたる治療が開始され、その翌日も含めた数日内に点滴漏れが起きて、入院して約10日後に点滴漏れによるダメージについて治療が開始され、以後は、この2種類の原因による受傷についての治療が渾然一体となって行われたわけです。治療の結果、右下肢と左下肢にそれぞれ8等級の後遺障害が残りました(この点は争いなし)。8等級の後遺障害が二つ競合的に生じたことになります。

ここで「後遺障害慰謝料」に話を戻します。判例実務上、8等級の後遺障害には、850万円の慰藉料が認められています。そして、交通事故や労災事故において患者にこのような2種類の後遺障害が競合的に生じた場合は、基本的には、二つ分をそのまま足す、或いは、一方を省略するという処理は行わず、等級に応じて調整する基準を設けるという方法をとっています。例えば、8等級と14等級が競合した場合は8等級のみの慰藉料額とし、8等級が二つの場合は6等級に繰り上げる処理を行い、これを「併合」と呼びます。この場合は、8等級の850万円を2倍する代わりに、6等級の1200万円となります。つまり、8等級の障害が二つ生じている患者には、8等級一つ分に350万円増額して賠償するという扱いをします。

そこで、医療事故としての示談交渉では、飛び降り行為による結果である右下肢の後遺障害は算定から除外する必要があり、医療ミスの結果である左下肢の後遺障害のみが対象となります(この考え方についても争いはない)。

では、赤十字病院は、どのような算定を行って提示してきたでしょうか。

病院側の結論は、併合による6等級1200万円から8等級分850万円を差し引いた350万円を賠償するというものでした。私も、この提案書を読んだ時に不思議な感覚がありました。それでいいような気がするのですが(何と言っても弁護士が考えて書面で言っていることですから)、何かしっくりこない、腑に落ちないのです。それで、基本に立ち帰って筋道を立てて考えてみることにしました。このブログを読む読者は、殆ど法律の素人だと思いますが、この問題は、法律も法律学も関係なく、簡単な算数であり、理に適っているかどうかだけの問題です。恐らく、小学生でも理解できる内容だと思います(むしろ、小学生の方が分かるかも)判断できることではないかという気がします。とかく、大人は私も含めて、「弁護士」とか、「法律」とか、「日弁連」とかに目眩ましを受けて簡単なことも分からなくなってしまうものです)。

私には、どうしても、赤十字病院側の考え方がおかしいとしか思えません。先の例で行くと、8級と14級が併合し、14級が医療ミスによるものだった場合は、医療ミスによる慰藉料はゼロになるという『漁夫の利』のような利益を医療ミスをした病院が得る結果になるのではないでしょうか。私の理屈では、350万円は併合における「調整」額のはずで、なぜその調整額が医療ミス相当分の慰藉料になってしまうのか理解できません。6等級の1200万円を2で割る方がまだましですが、それが正しいのでしょうか。やはり、すっきりしません。きちんと医療ミスに結果である8等級の慰藉料が賠償されるのが最もスッキリしますし公平です。

さて、裁判所はどう評価するでしょうか。

もう一つの争点、「逸失利益」は難しそうな言葉ですが、被害者が交通事故等で亡くなってしまった場合と後遺障害を残した場合には必ず問題になる項目です。言葉を代えると、「得べかりし利益」とも言います。つまり、死亡していなかったら、後遺障害がなければ、得ることができた収入にあたる金額を算定して賠償するものです。さて、赤十字病院側の示談案ですが、これを完全に否定しゼロとしてきたのです。その理由は、この患者が当時、勤務先に退職願を出していたことと自殺未遂をしたことの二つです。代理人による書面には、彼に「逸失利益を肯定することは困難です」と書いてます。因みに、代理人の書面には、「(患者は)うつ病のために近々退職し,将来的にも就労の蓋然性がない」とも述べています。

この問題は、先の慰藉料に比べると法的評価を要しますが、私は、裁判所によって蓄積された判例の考え方に真っ向から反するものだと強い姿勢で裁判に臨んでいます。退職予定は、「予定」であり理由にならない。そして、うつ病であることを理由に将来の就労可能性を否定することは、「損害論」以前に、憲法が禁じる「差別」に他ならず、赤十字病院の立場でそのような発言をしてよいのか、裁判でどうこう言う以前に私は問題だと思います。因みに、裁判所は、被害者を取り巻く当時の状況(失業や高齢など)を一時的・短絡的に見ることなく、就労可能性を抽象的・総合的に評価して被害者保護を貫こうとしています。

もし、うつ病であることが理由で逸失利益が否定される判例が成立するとすれば、うつ病と診断された人が交通事故で後遺障害が残った場合(死亡の場合も同様ですが)、健常者が受けられる逸失利益が否定されることが公認されることになります。そもそも、うつ病の診断は大変微妙であり、医師によっては他の病名(何とか障害)だったり、うつ病の診断自体が医師によってまちまちであることは弁護士の職務上、しょっちゅう経験します。例えば、ある精神科医院でうつ病だから仕事を止めなさいと言われて、別の医師(私が推薦した)に受診したら、「職場のパワハラ等が原因でうつ的であるが、うつ病ではない」と診断され、私が受任した法律問題が解決後、心身とも健康で仕事を続けてハッピーに暮らしている実例もあり、精神科という分野の難しさと怖さを実感できる貴重な経験でした。それなのに...です。難しい法律論を振りかざすまでもなく、やはり赤十字はおかしい。誰もが潜在的患者であり予備軍であるうつ病という現在的難題と就労の蓋然性との関連性など、裁判官は勿論、どこの学者も証明できるはずがありません。

原告は、解離性障害という障害の下で三階から飛び降りる行為をしていますが、一般的に解離性障害では、同様の行為に出ることがあり、記憶がないのが特徴です。勿論、治癒の可能性は充分あります。最近有名になり、テレビ等のマスコミにも登場する発達障害の若い女性ピアニストがいます。彼女はやはり解離性障害で発作的に飛び降りて現在は車椅子で演奏活動をしていますが、自らの努力と精神力で障害を克服して、作曲・演奏活動を行い、単なる就労・経済活動を超えて、心を病み、障害を負った人々を救う活動を展開しています。アンリ・デユナンの精神は、どうなったのでしょう。それとも、医療過誤による示談交渉や裁判の場でそんな話を持ち出す私がおかしいのでしょうか。高邁かつ崇高な精神は、そんなに簡単に変節したりはしないはず。赤十字よしっかりしなさい。

この示談を担当しているのは、保険会社であり、その代理人弁護士ですが、両者ともあくまでも本件の主体である赤十字病院の意思に基づいてしか行動できません。本来高邁な精神と目的によって公共的な基盤によって存立しているはずの赤十字病院は、保険会社や代理人がこのような姿勢で患者に臨んでいることに恐らくご自覚はなく、というよりも、意に介していないことでしょう。つまり、医師や看護師等のスタッフは日々の医療業務に追われてそれどころではなく、現実に経営的判断を担う役員は逆に現場のことなんかは知ったことではないのでしょう。しかし、特に赤十字系列病院における医療ミスは、量的にも、質的にも問題が大きいと言わざるを得ませんし、そのような事実があることを客観的にも認めざるを得ない状況は、正に、そのような奢った姿勢に深い根っこがあると思います。つまり、医療現場の最先端を担っているという選民意識がそのような「傲慢」を呼んでいると思います。医師資格自体は、一定の学力と経験のみで取得できるものであってそれ自体は何ら尊敬に値しません。命を預けざるを得ない患者を人質にとって自らを「神」と勘違いするのは非常に幼稚で人間力、人格性を欠いた所行で、大半の医療過誤はそのような意識(無意識?)から生まれることを医療現場に携わる人々には知って欲しいと思います。勿論、私は、謙虚な姿勢を忘れず、優れた人格性を備えた医師やスタッフが日本には大勢いることを承知していますが、医療ミスの原因が自らの中にあることを全く顧みることがない一部の人たちはそのような立派な医師たちの業績や名誉を汚していることを大変残念に思います。

私は、この裁判の訴状に、「原告は、自殺未遂行為を記憶していないが、命に別状がないという幸運に恵まれて(ただ、残念にも、入院中に医療過誤に遭うという不運に見舞われたが)リハビリに励んでいるが(勿論、社会復帰を目指して)、将来に対する希望を失ってはいない。この希望には、当然、近い将来の「就労」も含まれている。被告病院には、かかる原告の希望を否定する権利はない」と記しました。普通、訴状では書かないことですが、私は、このようなことを敢えて書くことにしています(書いちゃいけないという法律はないので)。

この裁判の経過と結果は、またの機会にこのブログに書くつもりです。