<離婚に際して検討すべき法的問題について>

『事実上の離婚』と『法律上の離婚』
*『法律上の結婚』から,『事実上の離婚』,そして『法律上の離婚』への道程
~別居の勧め~

1 はじめに
このブログは,私独自の視点からのメッセージです。一般的な離婚問題のマニュアルは書店に並んでますし,ネット記事でも溢れています。表題の「別居の勧め」という不穏な副題からもオーソドックスでないことは分かりますね(よく読んで貰うとこれはこれで良識ある見識であることは分かります)。普通の法律家が取り上げることのない,いわば,「グレーゾーン」に光を当てて,法律的な解決への糸口を探ることが目的です。
ある茶話会(懐かしい言葉ですね)で「井坂さんは『離婚弁護士』ですか?」と聞かれて,とっさに「いや,違いますよ」と答えてしまいましたが,『離婚弁護士』という称号も悪くないと考え直したことがこのブログを書く切っ掛けになりました。これからは「はい,離婚弁護士です」と迷わず答えることにします。 さて,役所に届け出ない「事実婚」という結婚の形態があります(後で詳しく書きます)。その離婚版が「事実上の離婚」ですが,この言葉が流通していないのは,それがまだ社会的に認知されていないからです。私は,一般的に法律家が取り上げることのない「事実上の離婚」という未成熟な概念を通じて,この領域にいる夫婦(「夫婦」ではなくなりつつあるので正しくは,「夫と妻」と言うべきでしょう)にとって現状からの脱却の糸口になればと思います。
「仮面夫婦」や「家庭内離婚」という暗闇の真っ只中(外には普通に明るい世界が広がってますから大丈夫!)にいる夫や妻に希望の光を当てるキーワードが「別居」です。この「別居」に法律家として真正面から法的考察を行うものです。最初は希望に溢れてたはずなんだけど,いつのまにかそんな状態になってしまった諸兄諸姉に送るメッセージです。                          
2 「事実上の離婚」って何?
「事実婚」という事象は,法律婚に伴うデメリットを回避するために,敢えて役所に届けるという「公証」手続をパスするという,保守的・封建的な現民法(何せ,明治31年制定ですから)の欠陥を補う合理的な結婚の形態です。私の知人で別姓を名乗るために敢えて事実婚を選択している夫婦がいます。昔から「内縁」と呼ばれているものも「事実婚」ですが,最近の先進的な事実婚とは様相を異にします。「男尊女卑」の悪風が濃厚に残る我が民法(親族法)の在り方と世間の風潮には苦言を呈したいのはやまやまですがここでは触れません。「事実上の結婚(略して「事実婚」)」の離婚版が「事実上の離婚」ですが,両性が意志的に「夫婦」という組織体を形成する「事実婚」と決定的に違うのは,前者は,両性が心を一つにして行う意思的な「行為」(結合)であるのに対し,後者は不和や不法行為(暴力,不貞等)によって生じる「現象」(分裂)である点です。事実上の離婚が社会的に認知されず,言葉としてもあまり流通していないのはそれが理由です。つまり,「事実婚」は先進的な行動として積極的な評価に値するのに対し,「事実上の離婚」は世間的には決して歓迎されない,マイナスの事柄なのです。誰だって離婚したくてするわけでなく,別れないつもりで結婚するのです。その意味で,不本意にも色々な理由で「事実上の離婚」状態になってしまった,或は,なってしまいそうな妻と夫がこのブログの対象です。では,どのような状況が「事実上の離婚」に該当するのでしょうか。よく世間で,「仮面夫婦」とか,「家庭内離婚・家庭内別居」と呼ばれる夫婦がいます。例えば,自宅内で動く導線を意識してなるべく相手と顔を合せないようにしたり,朝,相手が自宅にいる間は無理して起きないようにするとか,食事を外で一人で済ませるなど,涙ぐましい努力によって成り立ちます。離婚しているのと余り変わらないという状況を見て他人が揶揄するか,「うちなんか『仮面夫婦』だよ」と自虐的に語るかののどちらかですが,この状況は,「事実上の離婚」ではありません。ある意味「共同作業」によって,一つの家の中で外形的には婚姻関係が維持されているからです。このような「後ろ向きな」「投げやりな」態度はいずれ「自暴自棄」へとなって行きます。その意味では,ここで扱う「別居」は,「前向き」で「意思的な」行動の始まりなのです。              
「円満な夫婦」から「不仲の夫婦」(この間にも様々な段階があるはず),そして,「仮面夫婦」(ここまで長い道のりです)を経て,ここで別居という意思的行動を介して「事実上の離婚」に至ります。恐らく,世間の夫婦の大半は,「円満」と「仮面」の間のゾーンに位置しているはずです(手を繋いで公園等を散歩している老夫婦(「円満」のど真ん中です)を見かけますが少ないですね)。離婚を存分に経験している私自身は,どんな夫婦を見ても羨ましいと思いませんが,さすがに見とれてしまいます。
基本から入りましょう。「結婚」は,①婚姻の意思,②婚姻関係の継続に向けた共同生活,の二つから成り,これがある限り役所の届けがなくても夫婦として法的保護を受けます(判例上,「内縁」と呼ばれます)。この裏返しとして,①婚姻継続の意思と,②婚姻継続に向けた共同生活が希薄になった状況は,「事実上の離婚」が進行中ということになります。 
上記の「円満」から始まるフローチャートでいうと,仮面夫婦を経て,別居生活が始まって,次の段階が「事実上の離婚」です。この段階は,「法律上の離婚」への道を開くだけでなく,現実生活において離婚しているのと同じ状態になることからくるメリット,例えば,ストレスに満ちた息苦しい生活から解放されることのプラス効果は計り知れません。そして,何より,法律的に,時間の経過と共に,貞操保持義務(互いに浮気をしない義務)も徐々に薄れていきます。つまり,法律婚による法的拘束が徐々に失効していくのです。例えば,不貞行為による離婚・慰謝料請求の裁判では,必ずと言っていいほど,被告(不貞をしている側です)から「破綻の抗弁」が出されるのはその一例です。これは,その夫婦は既に婚姻関係が破綻しているので,その後にした浮気は離婚原因にならず,慰謝料請求もできないという判例理論です。「事実上の離婚」の意義はここに端的に表れています。従って,「家庭内離婚」中であれ,「仮面夫婦」であれ,同居している限り,「もう破綻しているから,不貞ではない」は裁判では通用しません。浮気がばれた夫(または妻)が家を出て別居してから「破綻の抗弁」を主張しても駄目なのです。
現実の事案では,長きにわたって維持されていた「仮面夫婦」の均衡が不貞の発覚によって破られて,別居が始まることが多いのですが,不貞はともかくとして,意思的に別居という形を選択することの有意義性を私は説いています。これは現実に「婚姻破綻」が進行していることが前提ですから,決して,私は破壊主義者ではありません。別居という意思的鼓動によって婚姻関係が修復される可能性もありますから。

3 法律上の離婚について
ここで「法律上の離婚」を説明します。
(1)双方の離婚意思
婚姻が「婚姻関係を結ぶ契約」であり,双方の合意によって成立した以上,離婚するためには「婚姻契約の解除」が,つまり,離婚の合意が必要です。離婚したいという双方の意思が合致すれば,簡単に出来ますが,逆に,相手が「NO」と言えば,片方がどんなに離婚したくてもできません。少なくとも,両者に離婚の意思がある場合を想定して検討してみます。           
(2)離婚を巡る諸条件についての合意
子どもの親権の決定やその他の金銭的な問題について合意が出来れば,離婚届に双方が署名押印すれば離婚成立です。現実の離婚の殆どがそのようにして離婚しています。
日本の法制度は,結婚・離婚共に非常に簡単です。韓国のように裁判所を通さないと離婚できない国もあります。日本では役所で全くチェックもなく,万一,一方が勝手に出してしまう場合は裁判で是正するしかないという簡略さです。この場合に,協議される諸条件とは,親権の合意,財産分与,養育費が主なものです。例えば,子どもは妻側が引き取り面倒を見る,一定金額を妻に支払う養育費の金額と支払方法です。理屈はともかく,離婚する条件として,夫が妻に100万円支払い,養育費を毎月5万円送金すると合意して離婚届に署名すれば終了です。
(3)離婚自体や諸条件において合意できない場合
相手が離婚自体を拒否している場合,一方が金銭的な要求をしてこれに他方が応じない場合,父母が親権を争う場合は,「離婚調停→離婚訴訟」という法的システムに乗せない限り,離婚成立の可能性はありません。ここで初めて離婚が法律問題となり弁護士が登場することになります。

4 事実上の離婚について
(1)別居について
金銭支払や親権の問題は別として,一方が離婚を強く望んでるのに相手がこれを拒否する場合(例えば,未練が強い場合,相手に浮気相手と結婚するのを妨害するため~このパターンは多い),この場合は,裁判の判決で離婚するしか道はない。従って,裁判をしない場合は,まず別居することによって「事実上の離婚」状態を継続していくことになります(これが次なる「法的離婚」への道を開きます)。つまり,前に述べた協議離婚が困難な場合は,双方の思惑の下で,婚姻と離婚の間の中途半端な関係を続けていきますが,この関係は,10年,20年,30年と際限なく続いていきます。           
いずれにせよ,この状況は,法律や弁護士とは関係のない世界です。このような「世界」からの脱却への扉を開く第一歩が別居なのです。       
さて,「別居」は,法の世界でどんな意味を持つでしょうか。これは真正面から語れることの少ないテーマですが,かつては弁護士が法律相談で「別居が7年続くと裁判で離婚できる」と言っていましたが,最近は徐々に短くなっているように思います。これはどういうことかというと,後で触れる離婚訴訟では,別居が7年続くと,裁判所がもう既に婚姻関係が破綻していると判断して離婚を認める傾向にありました(年数が法律で決まっている訳でなく個々の裁判官がそう判断する傾向にあったということ)。最近では,4~5年でも可能性があるようです。私が代理人で扱った事案で,別居中に妻から離婚訴訟が提起されて裁判が2年近く経った辺りで,裁判官が離婚を拒否する夫に「そろそろ可能性が出てきましたねえ,和解に応じるよう説得してくれませんか」と言い始めて結局和解に応じたことがありました。多分,別居後3年くらい経過していたのではないかと思います。
このように,暴力や浮気などはっきりした離婚原因がなくても,別居して長期間が過ぎると,裁判で離婚できる可能性があります。          
これは離婚を望む側の立場から考えていますが,逆に,離婚を拒否する側から見ると,別居が長期にわたると意思に反して離婚せざるを得なくなるということです。同居して共同生活をしている段階で考えると,法律上,結婚すると,同居して共同生活を営む義務が生じ,これを怠ると,つまり,相手の了解なく別居を強行すると,それが離婚原因となり,裁判で強制的に離婚させられるということになります。だから,離婚を望むならウエルカムな話なので,慰謝料覚悟で別居することは充分に合理的な選択なのです。           
そこで,私が相談を受けた場合,相談者が夫であれ,妻であれ,離婚を望むなら,とにかくまず「別居しなさい」と指導します。DV夫が妻の離婚要求に応じず,なお,連れ戻して支配下に置こうとする場合は,別のブログで書いていますが,専門的な弁護士が弁護する必要があります。
法律家らしく,別居の問題を法的に総括すると,人は生まれつき憲法上,生活する場所を自由に選ぶ権利を保障されていて,法律上の夫と言えども侵害することは許されません。性的自由も暴力を受けない自由も同じく保障されています。婚姻法上の義務違反になる可能性はありますが,それは離婚原因になる婚姻法の上位に,憲法による保障を受けています。つまり「妻である前に人である」という理屈です。結婚した結果,人として生きる自由や幸せを喪失した状況下において,最後に残された手段の第1歩が「別居」なのです。何人もこの権利を奪うことはできません。
理由が何であれ,強く離婚を希望し,それを相手が拒否している場合は,別居が「法律上の離婚への道」のスタートなのです。
(2)「事実上の離婚」から「法律上の離婚」へ
法的離婚(戸籍上の離婚)の手続は,協議離婚以外では,「調停離婚」と「裁判離婚」しかありません。離婚調停で離婚成立の確立はかなり高く,離婚訴訟に進むのはほんの一部です(その理由は,裁判所で頭を冷やすと,未練や嫌がらせは不毛と気づくからです)。離婚訴訟でも和解(中身は調停と一緒で話合いです)で離婚する場合が多く,判決まで行くのは極少数です。      
離婚調停は話合いの手続なので,裁判所の調停委員及び裁判官の関与の元で冷静になる点に意味があり,後で示す諸条件について話し合います。
問題は,理由は何であれ,相手(被告)がどうしても離婚の要求に応じない場合は,離婚判決で裁判所の命令によって強制的に離婚するしかありません。判決で離婚せざるを得なくなるのであれば,何らかの条件で折り合いを付けるしかないので,調停・裁判の両段階の過程で合意することななるのです(だから高い確率で離婚する)。 
そこで,判決で離婚できるためには,法律上,『離婚原因』が必要です。夫婦の一方が離婚を拒否する場合は,この『離婚原因』があるか否かが「法律上の離婚」が出来るかどうかの鍵を握ることになります。これについては詳しくは書きませんが,暴力,浮気,ギャンブル,借金など色々ありますが,これらの事情がないか,あっても証拠がない場合は,離婚訴訟を起こしても棄却判決で終ります(つまり,現状のまま)。これらのような決定的な離婚原因がない場合,例えば,徐々に気が合わなくなり険悪になっていくのを「性格不一致」といいますが,この場合は訴訟では離婚できません。
このような決定的な「離婚原因」がない場合に,離婚への道を開くのが「別居」なのです。「別居」の項で書いたように,別居が長期に及ぶと,既に婚姻関係が破綻していると判断されて離婚判決が下される可能性が出てくるのです。そうなると,拒否してきた相手が折れて離婚に応じる可能性も出てきます。
但し,ここで,婚姻費用の精算や解決金的な金銭支払も課題として登場してきますがそれは別問題です(全てが思うようになるわけではないので)。 
(3)『有責配偶者』について
但し,不貞行為をした夫又は妻がその相手と一緒になりたいがために離婚訴訟を提起する場合がありますが,この場合だけは何年別居が続こうと駄目です。『有責配偶者』による離婚請求はを裁判所は認めません。これは判例の蓄積で確立した我が国特有の判例上のルールですが,保守的な我が国の裁判所は当分これを変更しないでしょう。この『有責配偶者』が離婚したいと相談に来た場合は,殆ど100%の弁護士がこの話をして「無理だから諦めた方が良い」と言って相談を終るでしょうが,私は,さらに『事実上の離婚』の意義を説いて,「静かに『法律上の離婚』を待つのが一番」と言います。このような相談者は,新たなパートナーからせっつかれて,或は,申し訳なくて,何とか早く離婚したい一心で相談に来ます。
この場合でも,依頼者が経済的な負担を強いられるのを覚悟の上で,代理人として離婚調停をして,実際に離婚の合意が出来た例があります。何事も諦めなければ実現する可能性があるという典型例ですが,「柳の下にどじょうはいない」ことも確か。                               
5 最後に(法律を離れて)
「仮面夫婦」や「家庭内離婚」は,現状維持が継続していく過程で徐々に変質して,実体が形骸化して「夫婦」や「家庭」の外形・形式が残った状態です。現実の離婚事例の多くがこの過程を経験していると思います。多分経験者はみんな実感として賛同すると思うのですが,この時期は大変精神的に疲弊し,その心身に及ぼす影響は計り知れません。人間は結構ヤワに出来ていて強くないのです。実体がないのに形骸を維持していくことは人間の本能に反しているからだと思います。人は,誰でも「幸せ」に向かって努力するものであり,「不幸せ」に向かって努力することはできない存在なのでしょう。この逆方向に意思的に進むこと自体が心の「病み」故であり,病んでなくても必然的に「病み」を呼ぶのです。 私が最終的に,或は,基本的に,法は「別居」を許容するというのはそのためです。全ては憲法13条「幸福追求の権利」に根ざします。
「形骸」となった家庭の中で生活することは誰のためにもならず,その中で育つ子供がその被害をまともに受けることになります(例え,子供自身が「お父さん,お母さん,別れないで」と言ってもです)。勿論,子供は,どんな環境の中でも健全に育とうとする本能(これを講学上,子供の「可塑性」と言います)を持っていますからその場は大丈夫なのですが,思春期や成人後にその爪痕を残します。結局,形だけでも家庭がある環境とそれが分裂した環境のどちらがいいのかという比較の問題になりますが,私は,後者の方が良いと確信を持って言えます。
とは言っても,最終的には,夫又は妻がどちらを良しとするかという価値観,人生観の問題であり,他人がとやかく言うべきではありません。私は弁護士として,その渦中にいる人から「どうしたら良いでしょうか」と相談をされたら,選択肢を示して「選ぶのはあなたです」と最後に言います。「子供がかわいそうだから離婚しない方がいい」と闇雲に現状維持を良しとする世間的な風潮に対するアンチ・テーゼを提示することに意味があると考えて書きましたが,決して,私は分裂や破壊を志向する不穏分子ではありません。時には,耐えて,或は,やり過ごして,追い風を待つという姿勢が必要なときもあります(徳川家康のように)。要は,動くべきタイミングを逃さないことです。
 

令和3年1月29日

弁護士 井坂 和広