<初めてのレコーデイング>

2020年4月20日

今年11月に2日間,12月に1日と丸3日かけて,生まれて初のレコーデイングを経験しました。来年,発表予定のチャリテイーCD製作のための11弦ギター演奏での録音です。場所は,東京目黒にあるスタジオメックというレコーデイングスタジオで,フリーのミュージックエンジニアとスタジオスタッフが専属でついてくれました。40年来の師匠であるギタリスト・作曲家辻幹雄監修で実現できたレコーデイングでした。このようにプロ中のプロが自分如きのために専属で取り組んでくれる状況にアマチュア・ギタリストとしての充実感,高揚感は当然ですが,それにはとてつもないプレッシャーという副産物がついて回ります。
 合計7曲を予定した録音で10時過ぎから開始したのに,刻々と夕方が近づいてもまだ1曲目でOKが出ません。辻師匠とエンジニアK氏のOKが出ないと収録には至りません。もし,このままで経過すると1曲目で玉砕というコースが目の前に迫ってきました。取りあえず,遅い昼食を取って仕切り直そうということになり,みんなで近所のレトロ色満載の中華屋さんで食事,皆さんは和気藹々と昼ご飯を楽しみますが,第1線のプロの前で怯む私のプレッシャーは半端なく,正直,喉を通る感じじゃないけど(しかも,並みが大盛り)大丈夫なフリをして何とか食べて後半戦に突入です。
 前半で辻師匠が陰鬱な空気を何とかすべく,「こう見えて,彼は・・・」と取りなしてくれたお陰で徐々にプレッシャーも取れていく一方で,師匠の「はしる」「テンポはゆっくり」と繰り返し注意を受けてやはり堅さが取れない状況を見かねたK氏の「一度,いつものとおり練習のつもりで好きなように弾いてみたら」のナイスアドバイスが奏功して日も暮れたころ,やっと1曲目の「春のゆくへ」がOK。
 しかし,その後も,1曲目と同じ状況が繰り返され,「今度こそは・・」と弾き始めるとまた同じところでミスが出るという繰り返しで,焦れば焦るほど固くなり,状況は悪くなるという最悪の状況,まるで「賽の河原」の様相となり,ブースの中から心配そうな顔で見守られるなかで演奏フロアで独りぼっち,誰も助けることはできません。ステージと違って,録音は誤魔化しがきかない分,この孤独感は独特です。全部捨てて逃げ出したくなる思いの中で,精神的に限界まで追い詰められた時,ふと静謐で神聖な時間と空間に自分がいることに気付きました。そうなると,不思議なことに一つ一つの曲ごとにある段階を越えるとOKが出る瞬間が出るようになりました。それは,恐らく,仏教の「業(ぎょう)」に近い,非常に貴重な経験だったと思います。そう言えば,司法試験の論文試験や口頭試験もそれに近いものだった印象があります。
 二日がかりで全7曲を収録する予定でしたが,最も難しい最後の1曲が残ってしまい,一ヶ月後にもう1日セッテイングして1回目の録音は終了となりました。
 一ヶ月のインターバルを置いてのチャレンジは,何とかギリギリセーフ,「このあたりでよしとしましょう」的な感じで,午後中に何とかOKがでました。私自身が自ら演奏をやめてブースに入って「これ以上はもう無理だと思います」と告げて,最後の演奏を聞いて貰ってあちらこちらの微調整をして予定の7曲が収録されました。
 辻師匠の最後の感想は「どうなるかとハラハラさせられるのに,最後は辻褄が合ってるから不思議だね」「非常にスリルのある演奏」「癖がある演奏だけどね」「でも,面白いCDができそうだ」「このCDは問題提起になるね」など。
 確かに,テンポが速くなったり,リズムが微妙に定型から外れたりとか,優等生的な,模範的な演奏とはほど遠いものだけれど,巨匠セゴビアやカザルス,異色のピアニスト,グレングールドを思い起こすと,リズムやテンポは音楽の大事な要素であり,その正確さは練習段階では欠かせないものではあるけれど,それと表現は別で,時には表現を阻害する可能性もある,つまり,音楽は生き物と同じで,その時その場所で色んな姿を見せるものだと思います(もちろん,好き嫌いは当然ある)。
 
 レコーデイングの後は,チーフエンジニアによる音色・音量等の最終調整→CDジャケット製作のための撮影・ジャケットに使う写真のセレクト→CDデザインの決定という作業工程を経て,ビクターのプレスが終わって,大きな箱5つに詰められたCDが届いたのが3月末でした。
 こうして約半年間,レコーデイングに向けた練習,レッスンなどの準備も含めると1年近くかかったCD製作が無事に終わりました。
 CDの裏面に製作に関わったプロフェッショナルの方々の名がプリントされています。これまでに見た全てのCDにあるものですが,その重さを初めて知りました。このCDの音とジャケットを見てもらうと分かって貰えると思いますが,いずれも「蒼々たる」というに相応しいその道のプロ中のプロなのです。
 
 この約1年間は,幼少期から20歳台にかけての私の音楽に対する情熱が一つの結実を遂げる過程でもありました。幼稚園(小学校1年だったか?)の頃,最寄り駅から神戸御影町の坂道を歩いてヤマハオルガン教室に通ったのが私の音楽人生の始まりでした。偶然にも御影町の御影公会堂で撮影した写真が表紙を飾っています。辻幹夫の「言葉」の背景は私の故郷,神戸市長田町の長田港です。幼少時の思い出を最後に,その後は,親の理解と応援を得ることができなかったため切望した音楽的英才教育とは無縁に成長しましたが,こうして今,私の『音楽発祥の地』である御影に戻ったことはまさに奇跡です。
 
CD『happy birthday』は私のことばであると共に,私の人生でもあります。

令和元年12月
井 坂 和 広

 

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