低周波音問題~現状と今後の展望~

2016年9月2日

『日本の住宅社会における低周波音問題解決の鍵は、「中間領域の尊重」にある』
『日本の住宅メーカーは、「中間領域」の考え方を理解し、これを尊重して営業活動をせよ』
1. これまでの総括
初めてのブログ掲載は、4年半前の2011年1月の記事でした。高崎訴訟原告の清水氏との出会いから約3ヶ月後です。この時は、公害等調整委員会・裁定手続の真っ最中でした。その後、展開に応じて書いたブログは18回を数え、これが19回目となります。
随時、私のブログを見た方はご存じのとおり、清水氏の公調委取下げ、前橋地裁高崎支部への提訴、和解成立、並行して、日本各地での提訴、第1次国賠訴訟の提起、そして、清水氏による消費者安全調査委員会への事故原因調査申出・意見発表、つい最近のエコキュート・エネファーム民事訴訟(これを2次訴訟と呼んでいます)、第2次国賠訴訟へと至っています。
この約5年にわたる低周波音問題に関わる社会的な動向において、大きな転機は、高崎訴訟の和解と消費者安全調査委員会の意見発表です。これら二つの転機をもたらした立役者は、言うまでもなく清水氏です。いずれも清水氏が原告であり、申出人です。
高崎訴訟の和解成立のニュースが問題の所在を世間に広く知らしめると共に、全国の被害者に希望の灯を灯しましたが、判決での勝訴ではないため、国や企業等に何らかの影響を及ぼすには至りません。しかし、国の機関である消費者安全調査委員会が、控えめかつ遠慮がちながらも、他の国家機関に対して提言を行ったという歴史的事実には大変大きな意味があります。
もちろん、この提言に素直に応じて直接行動をするような相手ではないことは百も承知ですが、これが1歩どころか100歩の前身であることは、日本全国の裁判所で数々の民事裁判を代理人として経験してきた私は、実感として大いに感じているところです。
以前は、企業側代理人や裁判官にあからさまに侮蔑的態度をとられることが少なくありませんでしたが(しかも、いつも1人対10人弱で、多勢に無勢です)、最近は、少なくとも第1回期日の法廷ではそれなりの敬意をもって応じてくれるようになりました。正に、隔世の感があります。これも、消費者安全調査委員会なしては起こりえないことです。
2. 今後の展望
そこで、今後の展望です。100歩進んだと言いましたが、やっと土俵に立てたという表現がぴったりだと思っています。これまでは、土俵にすら立たして貰えない感じでしたから。例えば、第1次国賠がいい例です。しかし、これからは少なくとも相手にはして貰えそうかな、という状況になってきていると思います。
まず、現在係属中の2件の第2次エコキュート等民事訴訟(エコキュート・エネファーム)については、いずれも裁判所の態度が以前に比べて真剣な気がします。結論はともかくとして従来型の判決のレベルを脱する可能性はあると思います。つまり、裁判所が、参照値の数値の異常性も含めて、原告ら宅に浸透している測定値を欧州のガイドラインを初めとした現在の科学的知見で評価・検討するということは、これまでの裁判の判決では一度もありませんでした(公調委裁定と同じような内容です)。
また、第2次国賠は、まだ期日前で国側の答弁書も届いてません。多分、被告の対応は前回と同じでしょうが、裁判所には高等裁判所も含めて、今回は中身のある審理をさせたいと思っています。中身が審理されれば、第3次、第4次と国賠を繰り返すことで徐々に核心に迫っていくことができます。
これらの裁判については適宜、ご報告するつもりです。
3. 日本の住宅メーカーへの提言
以上は、法的手段の話でしたが、ここからは世間で進行しつつある現実問題の話です。
[住宅メーカーの営業戦略]
最近、エコキュート問題で関東近県のある地域に出張相談に行った際の話です。つい最近までは、田んぼ・畑、林等の中に農家がぽつんぽつんとあるようなのどかな地域にある相談者宅の目の前にアパートが建ちました。2棟で合計20軒強が入居しています。何とこの全ての居室にエコキュートが設置されて稼働するようになり、相談者は入居者が使用するヒートポンプの運転音に悩まされるようになったそうです。一体、誰がこの最近話題の高価な家庭用設備をアパートの全戸に設置しようなどと考えたのか、不思議です(このブログを最後まで読むと分かります)。これには、最近の住宅メーカーの営業戦略が大変分かりやすく表れています。つまり、まだまだ建築スペースが有り余っている地域に目を付けて、絨毯爆撃のように1軒1軒の地主にセールス攻勢をかけるのです。地主が高齢で独り者なら最高のターゲットです。このアパートの場合、エコキュートを設置すると、工賃も含めて、50万円×22軒(仮)=1100万円です。いい儲けになるに違いありません。このような地域が分譲されて、同じような住宅メーカーや施工業者が営業攻勢をかけると、一定の地域には、エコキュートやエネファームがそこら中に溢れることになりますが、そうなると、被害者となったお宅の救済は大変難しくなります。私が代理人となって解決しようとする場合、まず、音源のエコキュート・エネファームを特定することから始まりますが、可能性でランクを付けることはできても、一つを特定することはできません。また、エコキュートを使用するお宅3軒を同時に交渉することにもなりかねません。不可能ではありませんが複雑化することは確かです。こうやって「エコ」や「快適さ」をセールスする住宅メーカーは、低周波音問題をどんどん引き起こすと同時に、解決を難しくしていきます。
[住宅敷地の細分化]
エコキュート・エネファーム問題を考えるに当たって、避けられない問題がもう一つあります。それは、『住宅敷地の細分化』という日本独特の傾向です。元々、平野部が狭い日本ですが、地方の都市化が進んで分譲地化が進んでいくと、新たに新築される住宅の敷地はますます狭くなっていく傾向にあります。私は今、古い時代に建てられた一戸建て2階家の借家村の一つに住んでいますが、それぞれの居宅の前に駐車場とは別に庭があり、私の自宅の庭では朝顔とひまわりが花盛りです。しかし、同じ高崎地区で最近できた分譲住宅地を見ると、私の自宅のような庭は殆どなく、敷地に土が存在する余地は全くありません。僅かの空きスペースを四苦八苦して駐車場にしたのがよく分かります。建坪率で境界線ギリギリに家が建てられます。住宅自体は借家に比べると比較にならない立派な造りなのに(当然です)、表裏を接する家と家の隙間は殆どないような状況です。
何の話かというと、この僅かなスペースにエコキュート・エネファームが設置されると、どうなるでしょうか、ということです。当然、ヒートポンプと隣家との距離は2メートル~5メートルです。低周波音問題が起きる可能性は決して低くくありません。
因みに、私の自宅表の庭から境界までは4.5メートル、1メートル弱の細い路地を挟んで隣家の裏に設置されているエコジョーズまで計約6メートルの距離です。もし、エコキュートかエネファームがあったら影響が出る可能性がありますが、エアコンを敢えて表側に設置する配慮(多分?)があり、私の自宅の庭はその存在価値を全うしています(エコジョーズの音は全く聞こえません)。幸いなことに、私の自宅の表、即ち、隣家の裏には、後で述べる『中間領域』が形成されています。
[企業の営業戦略とエコキュート・エネファーム問題]
一戸建て住宅を持つという一般庶民の夢が農地や山林の宅地化と細分化が進むにつれてますます容易に実現できるようになると、住宅メーカーや電機メーカーがこれを見逃すはずはなく、ますますセールスに励みます。住宅メーカーは、「エコ」「快適」と言いながら狭い敷地に堅牢で閉鎖的な住宅を売り込み、エコキュートやエネファーム、太陽光発電、エアコン・床暖房といった付属設備をこれでもか、これでもかと売りつけます。当然、施主側は折角一生に一度の家を建てるのですから、エコで快適な家は大歓迎ですし、大変な買い物をするので気も大きくなっています。これが、エコキュート・エネファーム問題が頻発してきた背景です。日本有数の電機メーカーがこぞって開発製造した家庭用設備をセールスするのは企業として当然ですし、日本経済全体にも好影響があることは間違いなく、それ自体には異を唱えるつもりはありません。しかし、「エコノミックアニマル」丸出しの企業態度はそろそろ改めるべき時期に来ていると私は常々思っています。
[中間領域の考え方]
思っていますが、いくら国や企業に感情的に叫んでも彼らには「負け犬の遠吠え」にしか聞こえないでしょう。そこで、今回は少し知的にいこうと思います。
今から約30年前に黒川紀章という建築家が「共生の思想」という本を出版しました。彼は日本を代表する建築家の一人で今も日本各地に彼の作品が存在します。最近、劇場型選挙で話題になった都知事にも立候補したことがあります。 黒川氏がこの本で「中間領域」という考え方を強調しています。つまり、伝統的な日本建築には家の外と内との中間に必ず縁側があり、これに格子、回廊、庭、生け垣等が加わって「中間領域」を形成していると言うのです。これは外部、或いは、自然と連続する空間で、外と内との間に存在する第3の領域、或いは、公共的空間です。これが彼が重要視する「中間領域」という概念です。このような「自然と調和し一体化する日本文化」と、町を城壁で囲うヨーロッパの都市に見られるような「自然と対立する西洋文化」とを対比しています。黒川氏は、京都等の町屋造りを例にとって、家と家の間にある道も中間領域を形成する重要な役割を担っていると言います。先に述べた細分化した敷地に建築される堅牢で閉鎖的な住宅は、明治維新以来、日本に定着した西洋文化の延長上にあります。町屋造りや古い農家のような伝統的日本住宅はもちろん最近の若い人には好まれませんし、また、狭い分譲地には不向きというより不可能です。しかし、それでも、いやそうだからこそ、黒川氏が提唱する「中間領域」の考え方は非常に重要だと思うのです。この「中間領域」は物理的な空間も含意していますが、隣家や外部を行く人への思いやりや配慮が重要な要素を占めています。ここで調和をとろうとする外部や自然は、隣家や道を行く人とも共有しているのです。   
わかりやすい例をあげましょう。昔は、鈴虫の籠を縁側や窓際に置いたりして、虫の音を楽しみましたが、この虫の音は隣家や表を歩く人も聞きます。この虫の音もまた中間領域に寄与しているのです。西洋型の新築住宅では、鈴虫の籠の代わりにヒートポンプが置かれて、これを隣家だけが聞いています。この違いは、先に述べた文化の違いに結びつきます。つまり、自然や外部を壁やブロックで区切り、ここから中が自分の陣地であると主張する西洋的な文化が最近の住宅の有り様だと言えます。自分の陣地内にエコキュートを置こうと何を置こうと自由だという考え方です。もちろん、この考え方は、境界線で所有権の範囲を区切る法律の考え方にも一応は適っていますが、法律は多面的かつ複雑でそんな簡単ではありません。要するに、住宅敷地が細分化して隣家との距離が限界まで近づいている日本の住宅事情では、江戸時代の長屋や京都等の町屋と同じ考え方が必要なのです。このことと法律は何の関係もありません。「中間領域」の考え方は、ドイツ製の我が民法とは元々相容れません。
[低周波音問題解決の鍵は、『中間領域の尊重』にある]
私は、エコキュート・エネファームを代表とする低周波音問題を解決する鍵は、黒川氏が提唱した『中間領域』にあると確信しています。隣人同士が、硬直化した所有権主張を行うことなく、互いに、ほんの少し、隣人への心遣い、思いやり、配慮の気持ちを持つことによって、この『中間領域』は形成されるのです。
日本の住宅社会は、我が家の「裏」と隣家の「表」が一緒になって作られる『中間領域』の連続によって成立しています。『中間領域』なき日本の住宅社会は、ギスギスした、冷たい社会です。
こんな嫌な社会が、住宅業界主導で作られてしまっていいはずがありません。住宅メーカーを取り巻く全ての業界の方々、そして、全ての住宅居住者が『中間領域』を意識し、尊重する気持ちを持つことによってこの曖昧な公共空間はできていきます。
[住宅メーカーへの提言]
先にあげた例のように、現在の日本の住宅メーカーには「儲かりさえすれば何をしてもいい」という考え方が蔓延しているようです。一人暮らしで高齢の地主をたらし込んで無意味に(実は、「無意味」ではなく、大分後で施主にローン返済で跳ね返ってきます)高価な建築を勧めて、エコキュートのような付属品もできるだけセットにして売りつけるような例が後を絶たないようです。このような企業には何を言っても無駄かも知れませんが、それでも言わないわけには行きません。隣家との中間領域である施主宅の裏側(つまり、隣家の庭の鼻先)にエコキュートその他の室外機をズラーと並べるようなセールスは、いくら儲かっても行うべきではないのです。
「エコ」は、エコロジーです。エコロジーは、環境や自然との調和を図りつつ経済活動を行うという、むしろ、利益追求や経済活動に歯止めをかける考えかたです。つまり、「エコ」は企業の利益減という犠牲を伴うことなく実現することはできません。これを利益追求・経済活動のセールス文句に使うことに、私が胡散臭いと思うのは当然です。
そこで、私は、日本の住宅メーカーに提言します。『日本の住宅メーカーは、「中間領域」の考え方を理解し、これを尊重して営業活動をせよ』と。

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