~家庭裁判所で面接実施に追い込まれそうになっているDV被害者に助け船を出します。この意見書を遠慮なく使って下さい~
我が国各地の家庭裁判所で「面接交流の原則」が『錦の御旗』となってDV被害者を苦しめているようです。DV事件の離婚問題で係争中、或いは離婚後、DV加害者による影響からやっと離脱できた被害者に対して父親が母親の元にいる子どもとの面接を求めて家裁に調停を申し立てる場合が多いのですが、その手続きで看過しがたい事態が多く発生しています。つまり、最近の家裁実務上で通用している「原則」によって結果的に面接を強要されてしまうのです。
「原則」には「例外」が、「基本」には「修正」が、それぞれあって初めて成立します(基本設計のまま建つ家はありません)。「原則」と「基本」しかない社会は、絶対主義や軍国主義に行き着きます。この「原則」を盾にとった家庭裁判所が、やっとDV夫から避難して落ち着いたDV被害者をに追い打ちをかけて苦しめているのです。この「原則」をDV事案にそのまま適用してしまったら、その趣旨が台無しになってしまうことは法律家なら誰でも分かることです。裁判所の怠慢としか言いようがありません。
味方になってくれるはずの裁判所の人たちが敵になって必死で面接を拒否するDV被害者(母親)に加害者(父親)の申し立てに従い面接に協力するよう説得にかかってくるのです。家事調停という「ブラックボックス」は密室で行われる手続きであり、代理人を立てない限り味方になってくれる法律家は存在せず(裁判官もあてになりません)、相手方として出席する母親は独りぼっちです。家裁の調停委員(町の名士と言われる法律の素人です)や審判官(裁判官のことです)が「法律上の原則を根拠にして「面接に協力しなさい」と言ってきたら、孤立状態の母親は途方に暮れるしかないでしょう。例え、「必死でDV加害者と会いたくない」「会うとパニックになる」と訴えても聞いてくれません(聞いている振りはします)。面接交流の実施には両親の接触が不可欠なのでこれが公的に認められてしまったら、保護命令や弁護士による法的ガードは全て無に帰すことになります。私のような理論武装している(はず)の弁護士が立ち会っていても無視され、憤慨して抗議すると素人の調停委員に「裁判所に逆らうのか」と反撃されて「泥仕合」になるだけ、という信じられない事態が何度も続きました。苦労してやっと調停委員や調査官を説得できたと思ったら、裁判官と評議して調停室に戻ると逆戻りという繰り返しに唖然としました。
代理人が何を言っても何をしても結局無視されて、子どもの調査官面接を強行されそうになり(これをやると、「会わせても大丈夫そうですね」と面接実施の話になります)、それを拒否すると「審判にする」と脅された土壇場で提出したのがこの意見書です。代理人が調停の現場でどんなに必死で頑張っても結論は面接実施の方向に行くのですから、たった一人で調停に出席した母親はどんな思いをすることになるか、自ら経験した私にはよく分かります。
結果的にこの意見書の提出は、土俵際に追い詰められた力士が相手をうっちゃりで土俵下に投げ落とすような逆転劇をもたらしました。私は当事者ではありませんが本当に悔しい思いをしました。相手が当事者の父親ならそうでもないのですが、法の精神を代表するべき裁判所の人たちが相手だから悔しいどころか「怒髪天を突く」思いでした。この場面では裁判所は法に従う限り結論的にはDV被害者の味方をしなければいけません。結果的に見て中立を装いながら加害者の見方をして「弱いものいじめ」をしているのです(悪意はないかも知れませんが、それならそれでもっとたちが悪い)。調停委員は何かと言えば「中立」「中立」と言い、代理人が法的なことを言うと「私たちは素人ですから」と隠れ蓑にしますが、中立でいることが「悪」を加勢する結果になることを裁判所という権威を帯びる立場の人はわきまえるべきです。特にこの問題では、保護命令を出した裁判官や関わった警察、隔離するために活動した県女性相談センター、弁護士等関係者の努力を無にしてしまうという大きな実害を伴います。「悪気はない」で済まされることではありません。
この意見書は、あくまで「基本・原則」に忠実です(但し、裁判所が盾にする「基本・原則」よりさらに上の位のそれです)。そして、法律家の生命線である「論理」に徹底的に忠実です。だから、裁判所は裁判所である以上、この意見書が示す方向に向かわざるを得ないのです。だから、もし、あなたが弁護士を依頼せずに一人で家裁に臨んでいるのなら、私の意見書(前半部分)をプリントアウトして家裁に提出して下さい。代理人を立てているのならその弁護士にこのブログを見るよう言って下さい。前半の一般論はDV的な要素があるケースならそのまま使えます。これで「理論武装」して戦って下さい。後半は、現実に裁判所がどのような対応をしたかを具体的に分かって貰うため、そして、例え相手が裁判所であろうと怯むことなく自分の主張を貫いてほしいという思いで敢えて掲載しました。
この意見書を提出することにより面接実施の方向に向いた調停の流れが止まり、さらに反対方向へと流れが変わるはずです。孤軍奮闘している全国のDV被害者にこのメッセージが届くことを祈ります。
追伸:ここで言う「裁判所」「審判官」「調停委員」は、それにあたる全ての個人を指しません。勿論、見識優れた裁判官や心ある調停委員も大勢いることと思います。このブログが指摘するような事態が全く当てはまらない裁判官や調停委員には元々無関係な話です。私は専門家同士の情報等から決してまれな事態ではないことをむしろ憂いています。責任ある立場は、批判(正当な批判、不当な批判いずれも含めて)を乗り越えて初めて存在し得ます。司法試験の受験時代に憲法21条「表現の自由」の下ではこの追伸のような言い訳は無用であると学びましたが、余計な反応を避けるため記します。
◆意見書のダウンロードはこちら
意見書(前半)[PDF]
意見書(後半)[PDF]