~公害等調整委員会は前もって「低周波音に関する申請は棄却しますが、一応調停の労を執ります」と宣言すべき~公害等調整委員会は「裸の王様」~
平成24年7月20日(金)に、国賠訴訟を提起します。
『環境省と総務省(公害等調整委員会)の「参照値」による見事なコンビネーション!』、両省にこのエールを捧げます。低周波音被害者6名が環境省の低周波音規制の違法について法務大臣を相手取って訴訟を提起するこの国家賠償請求訴訟についての詳しい事は、添付した記者発表用コメントと訴状を読んでください。多分このブログを読む人はある程度の基礎知識をお持ちでしょうから、何を言いたいかは伝わるでしょう。
ここ3年間に公害等調整委員会(公調委)に申請された低周波音関連の裁定事件は、取り下げと調停が成立したごく一部を除いて全て棄却です(取り下げは棄却されることが分かったため急いで取り下げた)。恐らく20件ほどが全て棄却されているはず。これは裁判のように、「たまたま」棄却されたのではない。公調委が低周波音の事件は、全て「参照値」か「感覚閾値」を下回るか、少し越えてもかすっても、この程度では原因ではないと言って棄却するのだから、現実の事案では棄却されないものはないことになります。埼玉で和室から隣地工場の集塵機まで1メートル強の至近距離で参照値を僅か越えた事案ですら棄却だから、現代日本には公調委が原因裁定を認容するような事案は存在しない。それも当然で参照値はポーランド、オランダ、ドイツ、スエーデンなど欧州諸国のガイドライン(基準値)を大きく緩めたものだから(これらはISOの感覚閾値より厳しい)。
もちろんこれは偶然ではない(環境省は「手引書」の参考資料で欧州の規制状況を報告している)。業界の便宜を図って苦情切り捨ての手段を提供したもの。これを公調委が使って棄却している図を冒頭で「見事なコンビ」と言ったのです。環境省が「基準ではないから使わないように」と言って斜め後ろに出した「参照値」というヘロヘロ「パス」を公調委が「待ってました」とばかりしっかりと(ちゃっかりと?)受け止める見事なパスワークには、サムライジャパンも真っ青でしょう。ちなみに、ある公的な公聴会で、環境省の低周波音担当者が「もし、公調委が参照値を下回るという理由だけで棄却しているとすれば、それは問題です」と発言しています(この「だけで」というのは言い逃れの途を準備した役人特有の言い回しだが、基本に自白したに等しいと思う)。
過去には、公調委には見識・人格優れた裁定委員(もちろん法律家)が立派な裁定を行った時代があったことは確かだが、現在の(少なくとも低周波音事案については)裁定委員は恥を知るべだと私は同じ法律家として言って憚りません。法律家の宿命であるギリギリの利益考量を初めからしないことに決めているのだから、仕事としてこんなに楽なことはない。担当裁定委員が数名でローテーションを組んでいるようだが(同じ名前ばかり出てくるので)、これからも続けるなら、前もって「全部棄却します」と言わないと殆ど「だまし討ち」に等しい(現に、棄却された申請人はみんなそう言っている)。
公調委は、アンデルセン童話の「裸の王様」、しかし、滑稽な王様ではなく、低周波音被害者にとっては非常に害悪が大きいので「悪魔」に見えていることでしょう。私には、裁定委員は魂を売って「公調委」に天下りしたとしか思えません。彼らは一体、申請人の気持ちを一瞬でも考えたことがあるのでしょうか。確かに、法律の世界には被害者であっても利益考量の結果、やむなくその被害救済の要請が拒否される場合もあり、私が関わっている被害者達がそうであったなら、国賠訴訟の原告になったりはしない。私が公調委を糾弾してやまないのは、彼らが適正な手続きをするフリをして、実は切り捨てているからなのです。つまり、「切り捨て」という政策的決定に基づいて個別事案が次々と棄却処理されている。大仰な審理場所とスタッフの面々(裁判よりずっと大人数、いったいどんな立場の人が何のためにいるのだろう?)、審理が始まる際の「起立・礼」(裁判でもそこまでしない)、遠山の金さんの「おしらす」を連想させる審理会場の様子、そして、言葉ばかり空虚に並べられた裁定書、「煌びやかな衣装を纏ったはずの裸の王様」の姿を見るのは私だけだろうか。特に、法律家である私は棄却した裁定書を読むと怒りがムラムラと沸いて来ます。判決文特有の言い回しばかりが並べられ、最初から切り捨てが決まっているので肝心の中身が空虚で確信犯的手抜きであることがすぐに分かります。説得力ある文章は、それ自身が備えた普遍性、論理性、妥当性故に力を持ち、品格すら備えていますが、裁定書にちりばめられた仰々しい権威を振りかざす言葉とやたら並べられる資料を取り除くと、何も残らない空虚な文章で、品性の欠片もありません。これを読むたび、「この人(裁定委員)は法律家のたましいを一体どこに売ってきたのか」と溜息がでます。公調委は、表面だけを取り繕う精神で一貫しているので、実態として手続き的適正もかなり無視されています。やはり、「行政が裁判を行う」ことの問題性はただ理論的なことでは済まないことを痛感させる経験でした。ちなみに、公調委という総務省の機関が「裁判(のまねごと)」を行うことについて、憲法訴訟を提起することを本気で考えたが、既に他の行政委員会について最高裁で結論が出ていたことを思い出して諦めた経緯があります(でもやっぱり、憲法違反です!)。法律家が見ても公調委の有様はかなりひどいものだけど、なぜ誰も「ひどい」と叫ばないのか不思議です(童話では、パレードの群衆は全員喝采していて、最初に一人の子どもが「王様は裸だよ」と言ったら、その声はだんだん広がっていったが、王様の行列はそのまま何もなかったかのように行進を続けていきます。何と示唆的な話でしょうか!童話でありながら「古典」として後世に語り継がれるゆえんです)。
今回の国家賠償訴訟は、もちろん、環境省自身に自らの過ちに目を向けさせて、参照値の撤回、さらには欧州より厳しい基準値を制定させるという根本目標がありますが、被害者が「裸の王様」に踊らされて死地に飛び込むような真似をさせないことが差し迫った現実的な目的です。そして、公調委に「のうのうとあぐらをかかせない」という抑止効果の狙いもあります。現在、高崎、横浜、盛岡、川越の地裁で低周波音関連の裁判が係属中です。殆どの被告業者側が参照値を拠り所にして争っています(立証責任を盾にして代理人が殆どまともに反論をしない被告もいます。勉強したくないのかな?)。
低周波音被害事件の裁判は、他の訴訟のように普通にやってたら、まず負けます。判例もなく、法的規制もなく、唯一の基準らしきものが「裸の王様」の参照値、よくて「感覚閾値」が参考にされるのだから、簡単に勝てると思う方がおかしい(だから、殆どの弁護士がやりたがらない)。そこで、まず、「参照値は『普通の王様』に見えるけど、実は『裸の王様』なのだ!とガツンとやらないといけない。汐見先生を始め、多くの人が言ってきたけども(汐見先生はそのものずばり「悪魔の参照値」と言ってきた)、何せ「天下の環境省」がそんなひどいことをすると一般人が思うでしょうか。国家賠償訴訟という大袈裟な行動を取る意味はそこにあります。というか、それしかないのです。裁判所が、参照値や感覚閾値がダメなら何を参考にしたらいいんだ?と思ったところから我々の本当の戦いが始まります。税金無駄遣いだらけの国政です。昭和40年代から始まった低周波音行政は、現在のところ、無駄遣いならまだしも、自らをむち打つために国民が税金を費やしてきたことになるので、真に悔しい限りです。せめて、この国賠に大勢の法務省の代理人(検察官、弁護士)が担当し、どこかのメーカーのような「勝手にやれば」的訴訟姿勢でなく、真っ正面から臨んでくることにより有意義に税金が使用されることを期待します。
低周波音被害者にとっての光は、低周波音公害行政が日本よりはるかに進んでいる欧州諸国において、参照値はもちろん、ISOの感覚閾値より厳しい基準値を制定していることです。さすがヨーロッパと言うには、あまりに情けない日本の現状ですが、参照値と感覚閾値と欧州の基準値を一覧するグラフを見れば、誰しもが「このままではよくない」「このままでいいはずがない」と思うはずです。
低周波音規制問題の根底には、大手ハウスメーカー(大和ハウス等)と日本を代表する家電メーカー(日立アプライアンス、ダイキン等)の各訴訟の被告たち、そして間接的に繋がる電力会社(東京電力等)、そして、補助金を支出していた政府、環境省、総務省という強力な利益共同体が存在してます。この巨大な利益構造に対抗して、原告となった6人の低周波音被害者(全員が公調委経験者)と1人の代理人弁護士、欠かすことが出来ない協力者低周波音症候群被害者の会代表窪田泰氏の8人で始めたささやかな行動が本国賠訴訟です。それは、低周波音公害行政という分野において、現在、進行中の許し難い状況を改善するために不可欠な行動であり、それがこの問題に携わった法律家の使命であると考え、国賠提起を決断しました。国家を被告として争う我々の行動が現実に結果を生み出すためには、他から同じ目的を目指す力が加わることが必要です。何かの形で同じ方向の風が強く吹かなければ目的地に到達することは難しいかもしれません。このメッセージがより広く、より多くの気持ちを同じくする人々に届くことを祈ります。
※資料:記者発表用コメント PDF
「低周波音規制について環境大臣の責任を問う国家賠償訴訟提起に関して」
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※訴状(PDF)