国家賠償訴訟第一審棄却判決と東京高裁への控訴提起の報告

2013年12月27日

~司法の威信を貶(おとし)める『科学的知見』丸投げ判決~
東京地裁民事第16部は、「環境省において低周波音によって健康被害が生じる可能性が認められるとの科学的知見を得ていた」事実を認めながら、「ある者に健康被害が生じた場合に、それが低周波音を原因とするかどうかという点についてまで解明するに至る科学的知見を得ることができなかった」ことを理由に、原告側の訴えを棄却しました。裁判所が言う「環境省が得ることができなかった」科学的知見とは、一体いかなるものか、私が何度読んでもよく分かりませんが、要するに、「裁判での判断基準になるような科学的知見がない」と言いたいのだと思います。
 勿論、低周波音の問題は発展途上であり、その解明と科学的知見の蓄積・成熟は、音響工学専門家や環境省が担うべき役割です。東京地裁は、現状の科学的知見の先の検討と判断を放棄して、司法裁量の隠れ蓑の下で自らの役割を「科学的知見」という正体不明の権威に丸投げしてしまいました。
 ここで、好対照をなす平成22年7月29日に福岡地裁那覇支部が下した判決を紹介します。この裁判所は、「科学的知見」に「逃げる」ことなく、果敢に司法判断を行って航空機による離発着の際の低周波音が原告らの健康被害の原因であることを認めました。現状の科学的知見を踏まえて司法判断を行い、原告らの請求を認容したのです。勿論、航空機による低周波音とエコキュートやコンプレッサーによるそれは同じ低周波音でも周波数域や音圧等が異なります。私は、そんなレベルではなく、そもそも何も判断しようとしない「丸投げ」姿勢が問題だと言っているのです。これに止まらず、原審判決は、非常に卑怯なやり口で棄却に持ち込んでいます。私が控訴理由書に書いたとおり、「絶対的基準」という未知の概念を持ちだして(判決で初登場、史上初のタームです)、「参照値は『絶対的基準』になっていないから違法ではない」とべて述います。これは明白なルール違反、法律家にあるまじき「インチキ3段論法」です。私が『恥を知れ』と糾弾して止まない公調委の裁定といい勝負です。
 有名な「阿賀野川・新潟水俣病事件1次訴訟判決」は、水俣病被害者の救済という司法の空極的使命を果たすため、「自然科学的な解明」を敢えて回避して独自の理論展開(民事訴訟理論上大きな発想の転換を行っています)によって司法判断を行いました。それ故に、「司法の威信を回復した名判決」と謳われているのです。 最初に、私が「司法の威信を貶(おとし)める判決」と言ったのはそういう理由です。
 この国賠訴訟は、審理の経過も判決に負けず劣らずひどいもので、ブログに書く気にならず、結局、判決まで報告しなかったのはそのためです。昨年9月の第1回期日から今年6月の第5回期日結審までの期間と回数は普通っぽいですが、その中身は原告側だけが大忙しで一方的に膨大な書面と資料を提出するだけで、猛スピードの変てこな裁判でした。被告側の代理人(多分、検察官?)は1回だけ環境省の宣伝パンフレットのような量だけ無闇に多い書面を提出しましたが、原告側の24ページに及ぶ準備書面に対しては、「特に反論はありません」の一言で終了。確かに、うっかり反論すれば議論が始まりますから、何もしないのが一番効率的なわけですが、「ちょっと、あんた! それはあんまりでしょ!」と法廷で突っ込みを入れたくなりました。さらに、原告側がこれから本格的な主張をして資料を提出しようと思っていた矢先に、裁判長から「もう結審(審理を終了すること)でいいですか」と言われたときには、さすがに想定外でびっくりしました。全くやる気がないこと(つまり、最初から棄却するつもり)が分かってしまい、正直焦りました。私がムキになって「まだ主張があります」「資料を提出します」と言わないと裁判が終わってしまうからです。
以前に公調委のことを「裸の王様」と例えましたが、残念なことに今回の裁判所も似たようなものです。東京高裁が落とした「司法の威信」を引き上げてくれることを望みます。この国賠で勝訴することは、サッカーのワールドカップで日本代表が世界ランク1位のスペインに勝って優勝するようなもので、想像を絶する高さのハードルが目の前にあることぐらいは私もまんざらバカじゃないので分かっていますが、せめて「真っ正面から受け止めて欲しい」という思いです。そうでなくてはその先の光が見えてこないからです。
 控訴審の裁判長が水俣病の新潟地裁、空港騒音の福岡地裁の裁判長のようなスピリッツを持った人であることを祈ります。
 控訴理由書と第1準備書面を添付するのでよかったら読んでみて下さい(専門的な部分もありますが、私が言わんとするところは伝わると思います)。
  
◆資料はこちら

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