東京高裁も酷い判決でした。東京地裁と殆ど変わりません。
結論はともかくとしても、判決書に書かれた判決理由は「建前論」に終始し、空々しい言葉が重ねられた空虚な判決です。
控訴審判決に対する批判と最後の主張を書いた「上告理由書」を添付します。
地裁・高裁での書面とは少し異なる観点から書いています。この段階では細かいことは書きませんし、特に難しいこと書いていませんので読んで見て下さい。
そこでも書いたとおり、この国賠訴訟で勝訴することは「奇跡」で、この分野の歴史を変える革命的な出来事です。最初から簡単に勝訴できるとは思っていません。しかし、もうちょっと真面目にやって欲しかったと思います。原告側敗訴の結論自体はやむを得ないと思っていますが、地裁・高裁とも裁判官の「やっつけ仕事」ぶりが見えてしまい、同じ法律家として残念でなりません。理由付けを取り繕うにもそれなりの知識と努力が必要ですから、裁判官の忙しい身では仕様がないのかも知れませんが、「そんなんでいいのか!」と言いたい気持ちが収まりません(で、ここに書いちゃいました)。
最高裁の判事は半端な人たちではない(はず)ので、「上告理由書」には、法律家としてのスピリッツに響くはずの内容を盛り込みました。
担当裁判官が「何を青臭いことを!」と思うか、それとも「きみの言うことも一理ある」と思ってくれるか、どっちでしょうか。後者だとしても、判決には出ないでしょうから、私の思いが伝わったかどうかすら分からずに終わるのでしょうね(そもそも、ちゃんと読んでくれるのか、すら心配です)。
悲観的なことばかり言っているようですが、この国賠訴訟が「低周波音規制」問題という分野において、重くて大きな足跡を残したことは間違いないと思っています。
もし、現在の我が国にでは、「低周波音規制」は放置状態(「放置」してくれていればまだしも、もっと悪いことはご存じのとおりです)であり、今後も規制自体が全くないまま100年も過ぎるなら「足跡」すら残りませんが、明治維新以来、欧米を追いかけてきた日本の歴史を見るとそんなはずはない。必ず、いつかは欧州のガイドラインを真似るに違いありません(実は、環境省は欧州を中途半端に真似ています)。その時には、時代を先取った国賠があったことが思い起こされることになるでしょう。もっと「前向きな」意義もあります。この国賠訴訟の存在自体が、
規制への動きを早める役割を果たす可能性もないとは言えません。
上告審での動きがあったらこのブログで報告します。
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