意外なところから新しい資料が見つかりました。「見つかった」と言っても、実は元々手元にあったのと同じで、しかも、低周波音被害者にとっての『元凶』というべき環境省が発表した「手引書」の中に隠れていました(隠れてもいないかも知れません。よく見ると書かれてはいるので)。正に、「灯台下暗し」です。しばらく経過を書きますが、後半でこの『知見』を説明します、最後まで読んでいただければ幸いです。
この論考は大した論文でも何でもありませんが、問題の『本質』には深く触れています。低周波音による被害者だけでなく、関係各省庁の皆さん、音響工学関係の皆さん、エコキュートを初めとした低周波音問題を発生させている可能性がある企業の皆さん、みんなが読んでくれることを心から願います。
事の発端は、現在審理中の水戸地裁の裁判です。以前のブログで、裁判長が「欧州諸国が定めた基準値の根拠を具体的に示して欲しい」と原告代理人に要請したことを書きました。「欧州諸国が『基準値』を規定していることは明らかだから、それで良いんじゃないですか」と私が言うと、「いや、それじゃ駄目だ。基準値の正当性を根拠づけるものが必要だ」と言われて、「ごもっとも」と頷かざるを得ませんでした。
そこで、私は、改めて環境省の「手引書」(資料)を改めて熟読しました。なぜか2か所に分かれている欧州ガイドライン関係の記述を何度読んでも基準値の根拠ないし策定過程を読み取ることはできません。私が「超文化系」で理数系が苦手なことを差し引いても、これはどう考えも書いた側の問題だと、「手引書」自体から答えを得ることは諦めました。となれば、欧州のガイドライン原典しかありません。我が国の環境省の仕事は、よその国の「成果」を漁って「つまみ食い」しているようなことですが、欧州は自らの努力の成果をあますことなく公表し、しかも、どこかの国と違って「基準値」として責任をもって発表している以上、いい加減なことを書いているはずはないと考えたからです。
最初に、裁判所を通じて環境省に真っ正面からガイドラインの原典と翻訳文の提出を求めたところ、「翻訳文は環境省では作成もしておらず、取得もしていない」と明快な?回答があり、原典のみしか入手できませんでした(と言うことは、委嘱先に「丸投げ」か?)。そこで、今度は、委嘱先の日本騒音制御工学会に提出を求めたところ、同工学会から「翻訳文は存在しない」と素っ気ない回答(では、一体誰がどうやって手引書(欧州ガイドライン関係部分)を書いたのか?なぜ日本の誰も原典の翻訳文を持っていないのか?同工学会内部に語学に堪能な人物がいて彼(ら)に「丸投げ」したのか?彼らは翻訳文を経ることなく、原文を読んで直ちに頭の中であの資料を書いたのか?疑問が次々と浮かびます)。
勿論、環境省及び工学会の重ね重ねの「誠実な?対応」に思うところはありましたが、怒っても仕方がないので、最後の手段として、入手した「原典」を自費で翻訳することにしました。本来の対象は、ポーランド・スウェーデン・オランダ・デンマーク・ドイツ・アメリカのガイドラインですが、翻訳料がかなり高額になってしまうので、実を取って諸国の中で特に数値がいいオランダとポーランドに絞って翻訳しました(これは結果的に正解だった)。以下に、オランダ、ポーランドのガイドライン原典の概要を示します。
【オランダのガイドライン】
被害者(或いは、潜在的な被害者)の立場に立っても、大変重要・有意義・示唆的な表現が多くなされています。これらの記述は我が国の「手引書」にも『断片的』に拾われていますが、『断片』ゆえに読み手の頭に入ってきません。何の目的意識・視点・コンセプトも持たずに「摘まんだ」印象は拭えません(魂が入っていないから、伝わりません)。どうして、こんな素晴らしい内容をきちんと伝えないのか。私は、むしろ、「伝えたくない」という「本音」を感じます(到底「参照値」とは相容れませんから)。原典から要点と思われる部分を抜き出します。
*「低周波音による生理的影響一般についての記述
(以下、括弧書き内は原典の表現)
「長期に及ぶ夜間の低周波音知覚は夜間の重大なストレス要因となり、通常は日中も気分の不調が継続し、また、こうした知覚は鎮静剤や睡眠剤の使用量を増大する要因ともなっている。多くの事例において、他の人々(同居人・訪問客・調査担当者)には特定の低周波音の存在は知覚されないため、こうした状況も苦情申立人の苛立ちを亢進させる結果となっている」
←筆者のコメント:低周波音による影響の特性と問題性を端的に示していて、これが次の評価方法に結びついている
*低周波音が及ぼす影響の評価方法に関する記述
「研究により、低周波音が及ぼす影響は、その音量とさほど相関していないことが明らかとなっている。つまり知覚された時点で不快感をもたらし、苦情の原因となるのである。ゆえに、低周波音は、知覚可能となれば、すなわち、苦情申立人個人の該当周波数における知覚音量を上回った時点で、そのまま潜在的な不快感の原因と見做すべきである」
←筆者のコメント:私が全ての裁判で主張してきたこと、即ち、「低周波音による健康被害の問題に関する限り、その特性ゆえに騒音等の公害事件の裁判で常に用いられる「受忍限度論」を排除すべきである」と全く同趣旨のことを影響の仕方のメカニズムから説明してくれているので、「よくぞ言ってくれました」と拍手したい気持ちです。オランダは、この観点から基準値を定めています。さすがです。因みに、裁判ではいつも『独自の見解』と侮蔑的な批判を受けてきましたが、今度は「オランダ環境省は私と同じ見解ですよ」と言えますね。
*基準値策定根拠についての記述
「前述人口群(年齢50~60歳の耳鼻的意味合いで無選別な人口群)における10%の人々に相当する、両耳性聴覚閾値音量(HLT10%)を対象とした。検討している人口群においては、その90%は当該基準より劣った聴覚を有していることになる。故に、HLT10%とされた値を提示する周波数の関数としての曲線は、優れた聴覚を有する10%を人口の90%から分離して得られた曲線となる」
←筆者のコメント:オランダは、参照値とは逆の発想で基準値を定めました。我が国の環境省は、優れた聴覚を有する10%の人々を切り離したのに対し、オランダは90%の劣った聴覚を有する人々を切り離し、10%の優れた聴覚を有する人々を対象とした知覚閾値を基準としたのです。オランダの基準値が我が国の参照値より大幅に厳しいのは当然です。この違いは何によるものでしょうか?
オランダのガイドラインは、冒頭から結論までしっかりとした視点があり、それに基づく基本姿勢が最後まで一貫して貫かれています。
【ポーランドのガイドライン】
ポーランドガイドラインは、特に40Hz以下の周波数域でドイツ・オランダと比べても際だって厳しい基準値を定めた国ですが、オランダのような知覚閾値を用いた端的な基準値策定過程を示していませんが、疫学的調査(ワルシャワ医科大学疫学部)、低周波音ノイズの知覚閾値ラボラトリ試験、ドイツ・オランダ・スウェーデンで設定された許容可能値を根拠として基準値を決定した旨の記述が最後になされています。
「序説」において、「住居に侵入する騒音のうち、低周波音ノイズ(LFN)は他の周波数帯域より許容しがたく、苛立たしく認識されることが判明している」と低周波音による影響の特性を明確に述べています。
また、「疫学調査」という項目で、「(本研究の目的が)低音量のLFNの長期に及ぶ曝露が居住者にとって潜在的に重大な健康リスクとなり得るかを判定すること」にあると述べている。さらに、「調査母数の少なさ(約60名)にも関わらず、調査における有意義な結果として…知覚限界に近似する音量であってもLFNは不快ないし極めて不快な騒音として認知され、居住者にとっては潜在的な健康リスクを有している」と述べています。
←筆者のコメント:全般に厳しい欧州でも特にポーランドが際立った基準値を策定しているのは、ラボラトリ試験に加えて、欧州3国の基準値やかなり踏み込んだ疫学的調査の結果を総合的に検討評価した結果であると思われます。勿論、関わった人たちが、ガイドライン策定の基本的な姿勢が明確であり、低周波音の特性を認識した上で、それによる健康被害を未然に防止しようという確固たる目的意識を持っていたことが一番大切だと思いますが。
以上を総括します。これまで我々が裁判で、苦労した挙げ句敗訴という苦い結果になるのは、最終的には、「未だ科学的知見が未発達である」と言われ(原告の責任ではないのに)、知見がない割には、なぜか「参照値」が明確に打ち出されているという日本特有の(日本らしい?)おかしな「現象」が起きているせいでした。こんな『珍現象』のために裁判で敗訴したり、公調委で棄却されたりという、理不尽に怒って国賠訴訟までやりました(良いんです、負けても。またやります)。しかし、今回の欧州ガイドライン原典の入手とその翻訳のおかげで、この日本の「珍現象」の謎を紐解くことができたと思っています。
つまり、我が国の参照値は、『政策的な産物』であり、科学的知見による、或いは、理論的な推論の結果として生まれたものではないということです。これまで私達の裁判で簡単に片付けられてきたのは、比較対象がなく、参照値を乗せる「まな板」がなかったことが原因でした。いくら、「緩い!」「甘い!」「高い!」と言っても、天下の環境省が定めたものですから、被害者以外の人は誰も聞いてはくれません。
しかし、オランダのガイドラインを読んでスッキリしました。要するに、参照値策定の問題は、国政の現場から見ると、90%をとるか、10%をとるかという政策問題でしかないのです。我が国の環境省は、何らかの理由で(理由なんかないのかも知れませんが、それは酷すぎます)90%の許容値を選択しただけなのです。つまり、正しいか間違っているかという論理的な問題ではない。オランダと日本のどちらが政策として優れているかということなのです。この政策としての劣位性があまり大きいと政策の優劣を超えて、違法となり、国賠訴訟で国が敗訴することになります。政策的な分析をするとすれば、オランダのガイドラインは、低周波音による健康被害を受ける側に立ち(少なくともこちらに重点を置いています)、我が国の「手引書」は、低周波音を不可避的に出さざるを得ない企業側に立っていると言えます。オランダ等の欧州は、自らが集積した科学的知見と自らが依って立つ目的意識に対して、誠実に論理的に推論して、それを自らの政策的(行政の立場で)判断としてそれを遂行しているのです。法律学的な『利益考量』の観点で見ると、個々の一般市民の「生命・健康」とそれを保護することによって失われることになる社会全体の「経済効果」が考量における比較対象です。後者を最優先して戦後の発展を遂げてきた我が国です。誰が何を言おうが、私は、我が国の環境省が誇る「参照値」は、経済大国日本の悪しき『象徴』だと思っています。大変日本らしい『有り様(ありよう)』が低周波音問題の場にも現れているのです。私は、どこかで森永ヒ素ミルク事件や水俣病事件を例にとって書いたことがあります。「ドイツは、例え科学的未解明でも『人が死ぬ前に、取り敢えず、規制しておこう』。日本は、科学的未解明だから、『取り敢えず、放置して人が死んでから規制しよう』」なのだと。
環境省の参照値策定という政策は、オランダ等の欧州と比べて論理性・科学性あらゆる点で劣っていることは議論するまでもありませんが、それにとどまらず、低周波音の影響の特性やその対策の妥当性という観点から、明らかに『間違った政策』なのです。理論上は、我々の国賠訴訟が認容される可能性は充分にあります。国賠の裁判所は、「それが環境省の行政上の政策だから違法ではない」と判断していますが、「経済効率を健康より優先した参照値は、憲法に照らし、違法である」と勇気ある判決があり得るのです。
ここで示した2国のガイドラインは、比較的コンパクトであるにも関わらず、簡にして要を得た文章で魂がしっかりと入っています。「手引書」はどうでしょう?一体何のために低周波音問題を検討するのか、なぜ騒音とは別に低周波音を研究しなければならないのか、なぜ対策を講じる必要があるのか、など欧州のガイドラインではビシバシと伝わってくるものが何もなく、ただ、くどくど・だらだらと、後で責任を問われないよう慎重に、冗長な文章が延々と続きます。挙げ句の果てに、「『基準』を決めるけど、『基準』として利用しないように」という訳の分からない言い訳をします(環境省は今回の消費者安全委員会の指示を受けて、また『言い訳』をしましたね。そんな言い訳を何度もするくらいなら、引っ込めれば良いだろうに!)。
最後に、もう一度、ドイツ・オランダ・ポーランド・スウェーデンの基準値と参照値を見比べて下さい。これで良いはずがないでしょう、関係者の皆さん、どう思いますか?