第2次低周波音国賠訴訟,東京地裁判決が『判例タイムズ№1451,2018.10』で紹介されました~これって朗報?

2019年1月18日

 「?」で始まる微妙な見出しで始まりました。当ブログで報告してきたご存知の「国賠訴訟」に日が当たったという意味ではやはり「朗報」なのだと得心してブログにあげることにしました。
 読者諸兄には馴染みがないかも知れませんが,この『判タイ』という雑誌は,昭和23年に最高裁発足と同時に第1号が発刊された由緒と権威ある法律専門誌で裁判官・弁護士・検事が例外なく愛用しているものです。実は,この掲載を知ったのが昨年10月15日です。私が『判タイ』に紹介されたことを知ったのは,現在係争中のエコキュート裁判の被告(業者)代理人が証拠として提出したためです。もし,それがなかったら私はずっと知らないままだったはずです。発刊直後の提出ですから,被告代理人の熱意(?)と勤勉さに皮肉でなく頭が下がります。
 それから3か月間は「温めていた」わけで,言い方を変えれば「持てあましていた」ということです。私が低周波音関連の記事が新聞や雑誌で取り上げられたら「速攻」でブログアップしていることを考えたら,『判タイ』に紹介されたことをどう受け止めていいか私自身が分からなかったことの結果です。
 もちろん,「国賠法上の違法性が否定された事例」と紹介されているので,手放しに喜べることではありません(私はそこまでお目出たい人間じゃないので)。しかし,ただ悪いことではないような,変な感じがずっとありました。
 当然,被告業者側は,被告に有利な証拠として提出しています。つまり,東京地裁は,参照値について,「判断の目安として一定の合理性を有する」と判断していることをもって被告に有利だと考えてのことです。参照値を現実の被害事例に適用すると,その殆ど全て(空港や高速道路での低周波音を除いて)が参照値以下となって,「門前払い」となることは私も含めて多くの専門家が散々言ってきたことです。参照値は,実験によるデータを踏まえてその90%がクリアーできる数値を採用しているので,被害を訴える人の多くは10%の方に入る結果,そうなります。被害状況を改善したり,被害の発生を防止するという目的を設定しなければ,確かに,90%という線引きにも東京地裁が言うように参照値には「一定の合理性」があります。その意味では,国賠を審理した東京地裁は,当たり前のことを言っているだけで特段の意義はありません。従って,この国賠判決は,改めて被告に有利な証拠資料では決してなくて,むしろ,我々(私と被害者たち)の国賠訴訟が『判タイ』の注目を受けて「日の目を見た」ことを示してくれたのだと率直に感じます。私が「率直な感じ」を明確に自覚するのに3か月を要したと言えます。
 『判タイ』掲載の意義を改めて述べようと思います。「負け」すら「勝ち」に繋げようとする執念としたたかさが我々「弱者」は持たねばならないのです。    さて,この判決は,平成25年の第1次国賠訴訟判決と内容分量共に変わりはありません。1次訴訟では最高裁まで争いましたが『判タイ』は見向きもしませんでした。「それなのに今回はなぜ?」という素朴な疑問です。その理由は,5年前よりも低周波音問題が社会的に「熟した」ことだろうと私は推測します。この「熟し」の最大の切っ掛けは,エコキュート・エネファーム低周波音について消費者安全調査委員会による意見発表であったと確信しています。
 『判タイ』の解説は,「水俣病訴訟」「じん肺訴訟」「アスベスト訴訟」「クロロキン薬害訴訟」など行政庁の権限不行使が争われた最高裁判決を引いて,「本判決はこれらの最高裁判決が示した判断基準に沿ったもので特段新規性のあるものではないが,行政庁の不作為の国賠法上の違法性が問題となった一事例として紹介するものである」と最後に述べています。ただし,「本件の特徴」として,「(騒音と異なり)低周波音に着目した法規制は存在しないため…(大変難しい表現が続くので省略します)…基本的に作為義務の要件が厳格に解されている」と親切な指摘をしてくれています。私たちの国賠訴訟が大変大切に扱われていることは確かです。
 元々,『判タイ』は勝敗に関わりなく,意義がある裁判を選別して紹介していて,水俣病訴訟も地域や時期によって勝訴と敗訴が入り交じっています。
 1次2次ともに低周波音国賠は,勝訴することは私の頭にはありません。報道等によって社会に問題を提起して世論を喚起することが目的です。その意味では,新聞やテレビの報道は大したことなくがっかりしましたが,『判タイ』に取り上げられたことで苦労が報われたことになります。
 訴訟の法律構成がほぼ同じ構造の水俣病国賠訴訟やアスベスト国賠訴訟では国が敗訴していますが,いずれも大規模な人的被害をもたらした深刻な社会問題となっていた中での判決であり,阿賀野川にメチル水銀化合物を垂れ流して多くの人命を奪ったチッソ株式会社に対して規制権限を行使しなかった国の責任を裁判所が認定するのにそれほど躊躇はなかっただろうと思います。
 『判タイ』の解説者が言うように,7大典型公害から漏れた「日陰者」の低周波音について環境省が適切な基準を設けなかったり,或いは,欧州レベルと比べてかなり緩い参照値を設けたことで損害賠償責任を認めるような判決を裁判所が出すはずがありません。もし,そんな判決が出て確定したら,その後の民事訴訟は殆ど100%被害者が勝訴する途が開かれることになります。通常の民事訴訟(損害賠償請求)と決定的に違うのは,国賠では,行政庁の行為が著しく合理性を欠くと評価される場合しか勝訴できない点です。従って,国賠訴訟というものは,その性質上,よほどのことがなければ勝訴するものではありません。だから,「負けて元もと」なのです。
 しかし,国賠を提起した原告主張にそれ相応の理論的裏付けと説得力がなければ紹介されることはありません。言い方をかえれば原告に全く勝訴の可能性がないような訴訟は紹介の対象外です。「行政裁量の限界」という法律家にとって大変重要な論点について,原告が「行政裁量」という強固な壁を突破せんと司法に問題提起したことに対し,「この裁判体(裁判官3人体制による)は従来の大型公害訴訟と同じ理論的枠組みを踏襲して判断を行い,結論として原告の請求を棄却した」と法律家に紹介したのです。つまり,「今回は裁判所はこう判断した」と紹介しているのであって,「今後は分からない」ことが含意されています。同じ判断枠組みで原告勝訴判決が出されることは水俣病訴訟と同様にあり得ます。読んで貰うと分かりますが,『判タイ』が関心を持つのは「どちらが勝ったか」でなく,原告と国の理論的な攻防とそれに対する裁判所の判断手法なのです。『判タイ』は,原告である低周波音被害者の主張に一理ありと敬意を払ってくれていることは間違いないのです。
 このように低周波音問題が法的な観点からアスベストや水俣病並みに取り上げられたことは,「日陰者」に日が当たり始めたと考えてよいと思います。だから,紛れもなく「朗報」です。図らずも敵から塩を送られた恰好でしたが,その昔,異常者扱いされてきた不遇の低周波音被害者にも新しい時代が開ける予感がします(まだまだ遠い日だと思いますが)。
判例タイムズ№1451.pdf

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