『感覚閾値を超えれば隣家のエネ・エコの運転音が被害者に聞こえて不快感等によって苦情の原因となる』
1 最初はこれをどう評価してよいのかが分かりませんでした。天敵である「環境省大気・・何とか室」がいいことをするわけがないという先入観が私の頭の真ん中を占めているからです。しかし,審理中の裁判でこれを証拠として準備書面を書き始めたら,色々と分かってきて,「これは思いのほか画期的なんじゃないのかな?」と思い至った次第です。以下に,率直に思ったことを書きます。恐らく,低周波音の被害者の側にいる人々はみんな同じ感想を持っていると思うので。ただ,表題の知見が記載されているのは前半部分(1~5p)であり,後半(6~10p)は従前の手引書どおりという摩訶不思議なガイドブックなので単純な話ではありません。先を急ぐ人は,最初に,7項を読んで下さい(現実的な対処を書いてあります)。
2 このガイドブックが裁判で有利な証拠資料であることは間違いありません。このガイドブックは,「エコキュート・エネファームの運転音が被害者宅の室内で被害者が聞こえる場合は,苦情の原因となる」と言っています。,そして,大切なのは次です。「被害者の室内に伝わった(聞こえた)運転音は,参照値を下回ったが,聴覚閾値と同じかそれを超えていた」とはっきり言っています。つまり,これまでは「参照値」を苦情の原因かどうかを決める基準にしていたのに,ここで初めてISOの「感覚閾値」を基準にして判断することをガイドしたのです。 これまでは『参照値を超えなければその苦情は,エコキュート・エネファームの運転音が原因ではない』と言い続け,公調委も,裁判所すらそれを真に受けて認定してきたのですから,我々が「えっ?」となるのは当然です。
3 今回のガイドブックが準拠している最新の感覚閾値は,欧州のガイドラインにかなり肉薄していてこれを基準に判断しても大部分の被害事例は救われます。がしかし,本家の参照値とはシャレにならないほど落差があります。環境省の「大気何とか室」はいったい どうしてしまったのでしょうか。気が触れたのか,それともやっと正気に戻ったのか。普通に考えれば,国民の味方である消費者安全委員会からあれだけ厳しく言われたのだから(表現は柔和ですが言ってることは厳しいと思います)当然と言えますが,これまで「参照値」を振りかざしてきた過去との折り合いが付くとは到底思えません。それとも,「何とか室」内の派閥闘争で,凝り固まった保守派から良心的な進歩派に主導権が移ったのか。そうなら,徐々に誤った過去を生産していく方向に向かうのか。
4 そんな楽観的な話のはずがありませんが,このガイドブックは,前半で新しい知見を発表しながら,後半では過去の遺物であるはずの参照値をそのまま残存させて,『苦情が発生した場合の対応』でフローチャートで登場させています。これは保守派と進歩派の「政治的妥協」の結果なのか?
私ならずとも不可解と感じている人は多いと思います。一般の人はこの「珍現象」に思考が停止するでしょう。私自身は,無邪気に「一歩前進だ」では済ませたくありません。 「派閥抗争における妥協の結果」というジョークはさておき,環境省自身に何らかの「葛藤」が起こり,その結果として,今回の馬の胴体に駱駝の頭をつけたようなガイドブックが出来上がったことは確かです。また,消費者安全委員会の意見書(とその後6年間になされたフォローアップ)の結果であることもまた確かでしょう。そして,このようなベクトルを描かせる原動力が参照値自体に潜在する不合理・不正義にあることは間違いありません。
参照値は,地球環境の保護に向かう国際社会の趨勢に耐えられるものではなく,いずれ近い将来において淘汰される運命にありました。私自身は,「今の日本の体たらくでは,あと50年か,100年先かな?」と自嘲的に言っていましたが,意外に速くこの「流れ」が出てきたのかも知れません。
しかし,このガイドブックは,致命的と言える矛盾を抱えたまま発表されてしまいました。この潔い(或は,厚顔?)とも言える矛盾露呈は,このままで済むとは思えません。
5 「致命的矛盾」をわかりやすく説明します。ガイドブック前半の本体部分(5pまで)では,調査結果に基づいて『感覚閾値』を拠り所とする知見を発表し,具体的な対応を示すフローチャート(6p)では従来どおりの『参照値』が拠り所となっているのです。
ガイドブックを読む人は,フローチャートを見たら,「えっ,結局,どっち?」となります。一般人の感覚では明確な「矛盾」を実感することはないとしても,違和感は残るでしょう。自治体の環境関連担当者によって対応はまちまちになることでしょう。私のような法律家は,『馬』と『駱駝』の比喩のとおり,論理的に両立しない内容(結論)が一つのガイドブックに示されていると理解します。
弁護士や裁判官は,このような場合は,『善解』(良い方に解釈すること)や『合理的意思解釈』(一見,矛盾している文面を当事者の意思を合理的に推し量って矛盾しないように解釈すること)というテクニックを使って,「矛盾」を解消して処理します。
このガイドブックの場合は,フローチャートの「参照値」を一つの例と解釈して,これを本体部分の「感覚閾値」に置き換えるのです。かなり無理がありますが,「フローチャ-ト」より「本文」を上位に位置づけることによってこのような「読み込み」が可能になります。
現実に環境省がこのような書面を発表してしまった(発表してくれた?)からには,低周波音被害者の側に立つ我々としてはこれしかありません。
6 ガイドブック自体に「環境省大気何とか室」担当者らの葛藤が現れています。
『参照値』は,『低周波問題対応の手引書』で発表しています。ところが,このガイドブックでは,本文(5Pまで)では『参照値』というタームが全く登場せず,用語説明で「低周波音」,調査結果の報告で「低周波領域」という言葉が出てくるだけです。環境省が上記のような矛盾を少しでも目立たなくするために『低周波音』という言葉を避けていることが窺えます。一方で,いったん発表してしまった『参照値』は,いくら分が悪くても公式に撤廃するわけには行かず,かと言って今回の公式発表で全く触れないわけにも行かず,苦渋の選択が「フローチャート」で使うことだったのです。そして,フローチャートで登場させた後(6p~10p)は,ちゃっかりと本文で「低周波音の心身に係る参照値と比較~詳細は手引書を参照してください」復活させています(敗者復活です)。
ガイドブックは,全く異質な前半(5pまで)と後半(5p~10p)から成り立った奇妙奇天烈な書面なのです。
確かに彼らの苦労が忍ばれますが,官僚の優れた頭脳がこんな風にしか使われていないのは嘆かわしいことだと思いませんか。
7 現在,私が代理人として担当しているエコキュート・エネファームの裁判では,ガイドブックを早速,提出して,原告の主張を裏付ける非常に有力な証拠として提出しました。今後,私が受任するであろう調停事件と訴訟事件では,「環境省が新しい知見を発表した」とガイドブックを証拠にして主張するつもりです。 被害者の方々は,音源機器を使用する隣家住人,施工業者,或は,自治体役所と折衝する最は,堂々とガイドブックを提示して「環境省が新しい知見を発表した」と言って下さい。相手方から「でも,参照値で対応しろとも書いてあるよ」と言われたら,「そんなことは知らない,作った人に聞いてくれ,どっちにしても新しい方が本当だ」と言えば宜しい。
法律学では,法律で規定されている基準よりも厳しい基準が定められた場合は,厳しい方が適用されます(その逆も同じ)。要するに,二つの基準がある場合は,厳しい方が優先されるのです。