今朝、朝食をとりながら何気なくテレビを見ていたら、久しぶりに乙武さんの特集番組をやっていて夢中で見入ってしまいました。杉並区の小学校でクラス担任として授業等に取り組む姿を生き生きと伝える番組でした。11年前に実施した利根沼田地区の小中学校での講演そのままの乙武さんの姿を見て、その当時の私の心の中にわき起こった小さな情熱と深い感動がまざまざと蘇ってきました。
最早直接に接することができるような存在でなくなった乙武さんですが、幸いなことに11年前はそれほど有名ではありませんでした。沼田市内の小中学校5校の講演会の後、数ヶ月の間にあれよあれよという間にテレビ、新聞、雑誌等のマスメデイアに登場するようになったのは本当に不思議なことでした。
乙武さんの学校訪問・講演は、利根郡と沼田市内の全ての小中学校に呼びかけた結果、賛同してくれた5校で実施しました。私が当時たまたまロータリークラブの社会奉仕委員長だったので、クラブの事業としてやることにしました。私一人でも何とかして実現したいと思った事業でしたが、クラブの後押しと協力の下でできたことは大変ラッキーなことでした。
この事業を思いついた切っ掛けは、それまでは全く乙武さんのことは知らなかったのですがたまたま彼の30分スピーチを聞く機会があり、その時、息子が通う小学校も含めて地域の小中学校で子供達に彼の話を直接聞かせたいという思いが湧き出てきたことでした。
呼びかけた小中学校を訪問して、校長、担当教員、PTA役員等と面談して講演の趣旨を説明して回ったのですが、ショックを受けることがありました。例えば、「子供への悪影響云々」とか、とてもここに書けないような言動、教育関係者の言葉とはとても信じられないような発言に言葉を失いました(もちろん、真に趣旨を理解して賛同してくれた多くの関係者のおかげでこの事業ができたわけですから、ほんの一部にすぎません)。
私は、この事業を進めていく過程で、この社会には悲しく残念な現実があることを思い知りました。それは、何らかの点で少数派に属する人をいとも無造作に差別し、貶めて平気な人たちがいるという現実です(問題は、その人自身は悪意はなく、悪いことをしているという自覚が全くないことです。「社会から逸脱した」或いは「反社会的」と評価されるグループに属する人たちがそれをするならそれほど深刻な話ではないとも言えるのですが)。たまたまその時点で安全な多数派に属していても、いつ何時少数派に転じるか分かりません。個性的であることは、圧倒的な力の裏付けがない限り、少数派として差別される危険性があるので、取り敢えず平均的である途を選ぶことが無難です。しかし、安全な多数派の側にいる安心感は、より安心の度合いを高めたいという本能から少数派を迫害する温床となります。「より安全」「より安心」を求める人間の本能は、無意識の差別、いじめの行動を生み出します。この本能を乗り越えるのは、結局、「やさしさ」や「思いやり」の気持ちしかないんだろうと思います。
杉並区の小学校で奮闘する乙武さんの姿には、11年前と同じ「やさしさ」と「思いやり」のメッセージで溢れていました。スポーツライター、教員、小説家、次々と新分野で社会にメッセージを送り続ける乙武さんに心からエールを送ります。